橋の名は。物語 官人橋


官人橋(旧勧進橋)

・佐賀県佐賀市   ・国道323   ・嘉瀬川

  高速道「佐賀大和IC」を出て国道263号を右折、山側(福岡方面)に進むと左側の赤いトラス橋が本橋。橋の構造的な派手さはないが、しなやかで優美な佇まいは凛とした周りの景観とマッチしている。橋の名前はもともと、元禄(1688~1704)ころに書かれた「肥前川上淀姫①社の図」によると現在地より約80m下流の中の島に板橋が架けられ、名称は「勧進橋」と記録されている。その後、板橋~土橋~コンクリート橋の変わったが昭和24年水害により流失。昭和28年現在地において本橋が完成した。

  呼称は「葉隠聞書」や「河上神領絵図」にも勧進橋と書かれており、その後明治までの案内文書にも同様明記されていることから「官人橋」の表現は大正時代以降と思われる。呼称の変遷の理由は謎であるが蓋然性や立地条件から見ても当初の名称が自然であろう。ちなみに「勧進」とは中世(鎌倉時代、室町時代)において寺院の建立や修繕等のため、信者や融資者に説きその費用を奉納させる。つまり寄付によって官寺(鐘、仏像等含む)の建設から橋や道路の整備・修理など本来は朝廷(国家)や地方機関が行うべき公共事業も勧進によって実行された。(出展資料「大和町史」より引用)

 

 



周辺散策

  周辺には、橋を渡ってすぐ川のそばに子宝・子孫繁栄・安産にご利益ありと言われる神功皇后の妹「豊玉姫②」を祀る(興止日女③)神社(564年創建)がある。又、近くに名物の白くて玉のように可愛い子供が授かるという縁起のよい饅頭屋もある。 ”参拝の価値あり”

 

注;①②③は同一人物である。


by 字っ茶3