橋の名は。物語 余部橋梁

余部橋梁(旧 餘部鉄橋)

・兵庫県香美町香住区(旧余部)  ・JR西日本山陰本線 鎧駅~餘部駅

旧餘部鉄橋(写真上)

  京丹後から山陰海岸を経て、悲しみの記憶 JR山陰本線「余部橋梁」を訪れた(写真左)。余部道路[余部IC]を降りて左折、178号線を少し進むと眼前に広がる日本海を跨ぐように「新余部橋梁」が現れた。昭和61年の事故後、架け替えられたものである。

 

  旧橋は明治45年竣工。高さ41mの鋼製橋脚11本で支えられた鉄道橋であった。橋梁の架設は鉄道院技術研究所の直轄で進められた。

 

  事故は、「昭和61年12月28日、正午過ぎより山陰特有の低気圧が侵入し、列車転覆限界風速を超える強風 

 が連続的に吹き荒れる13時25分頃、回送中の下り列車みやび号が餘部鉄橋中央より客車7両の脱線転落で 、鉄橋下のカニ加工場を直撃し従業員主婦5人と列車車掌1人の尊い命が奪われ6名が重傷を負う未曾有の大惨事が発生した。」(慰霊碑文より抜粋)

  事故の最大の原因は、強風下における列車運行体制のずさんさ、つまり人為的ミスによるものである。あらためて事故の記憶を風化させることなく後生に伝えていく必要があろう。

 

  [橋の名は。]について JR西日本による正式名称は「余部橋梁」である。第二次世界大戦前は一貫して「餘部橋梁」が用いられていた。

  旧橋梁の愛称は「余部鉄橋」と呼ばれていたが、新橋梁の愛称は便宜的に「新」を入れた形で「新余部橋梁」・「余部新橋梁」・「余部新橋」、あるいは一部の鉄道ファンでは「余部鉄橋(余部の略称と解釈)」が混在して使用されている。

  隣接する駅は「餘部(あまるべ)駅」であるが、同じ兵庫県内に「余部(よべ)駅」があり、それと区別するため漢字を変更したものである。

 

  前述の要因から表記のゆれがあり、「餘部橋梁」や愛称と組み合わせた「餘部鉄橋」も戦後から現在に至るまで一部で使用されている。

  (ウイキペデイア・余部橋梁より抜粋)

 

  


by 字っ茶3

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コメント: 6
  • #1

    橋っ娘 (月曜日, 11 9月 2017 22:07)

    余部鉄橋は鉄道模型チャンネルという番組で見たことがありました。余部鉄橋は、色んな呼び名があるのですね。それほどに、地元の人やファンから愛着を持たれてるんですね。

  • #2

    字っ茶3 (火曜日, 12 9月 2017 10:20)

    橋っ娘様
    コメントありがとうございます。現地あらためて迫力を感じ、思わず合掌いたしました。
    これからもフォローよろしくおねがいします。

  • #3

    橋っ娘 (火曜日, 12 9月 2017 11:14)

    いつもサイトを見ています❗
    余部鉄橋の真下に住んでいる人たちは、どうやって電車に乗るのですか⁉

  • #4

    字っ茶3 (火曜日, 12 9月 2017 13:15)

    橋っ娘様
    ご質問ありがとうございます。
    現在は、「餘部駅」まで徒歩にて約10分のルートを使って電車利用。
    しかし、「慰霊碑写真」の奥後方の橋梁脇にクレーンが見えますが、11月完成予定でエレベーター「余部クリスタルタワー」が建設中です。高さ47m、全面ガラス15人乗り、施設まで45秒で到達。新たな人気スポットになるでしょう。


  • #5

    橋っ娘 (火曜日, 12 9月 2017 15:50)

    徒歩で10分もかかるところ、エレベーターでは45秒で行けるのですか⁉ガラス張りだと景色も良いでしょうし、是非いってみたいです☺❗❗

  • #6

    sota1112 (火曜日, 07 2月 2023 21:55)

    僕は実際に行ったことがありますがとても眺めがよくて、綺麗でした�