名島橋
・福岡市東区 ・国道3号線 ・多々良川
名島橋は、名島水上飛行場に伴う道路整備の一環として、全長204m・幅員24mのアーチ橋が1933年(昭和8年)に架設された。
1336年、多々良川を挟んで、足利尊氏と肥後の武将菊池武敏が激しい合戦を繰り広げ、尊氏が勝利しました。この頃、既にこの辺一帯を名島と呼んでいた。
1587年、九州征伐にやってきた豊臣秀吉は島津を討つと小早川隆景を筑前の領主にしました。隆景はこの地に海城・名島城を築き、その城下はたいそう賑わうこととなりました。
江戸時代の1823年に初めて埋め立てが行われてからも、河口付近には木の仮橋があっただけでした。明治時代には、村営の渡し舟を始めました。1910年(明治43年)には、地元有志により総檜造りの立派な木橋が完成しました。この木橋によって博多と名島の人々の往来は活発化したことでしょう。
橋の波及効果か、名島は脚光を浴びるようになっていきました。1920年(大正9年)には東洋一の石炭火力発電所が建設され、1930年(昭和5年)には水上飛行場が開設された。
[国土交通省・福岡国道事務所・名島橋歴史ロマンより引用]
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