利宮橋(りきゅうばし)
・佐賀県富士町内野 ・国道263号線沿い ・嘉瀬川
佐賀市富士町内野、国道263号線沿い嘉瀬川に架かる 赤く塗られたメタルの参道橋である。参拝は当橋の右岸山側に位置する法輪山再興寺であろう。
時空禅師開基、創建570年余の臨済宗南禅寺派の寺院である。
当時、大干魃や悪天候の為諸国飢饉・永享の乱など乱世の平定を求め一寺を建立した。その中、これを物語るかのように正徳3年、大雨のため内野の堰(せき)は流され復旧工事は進まず、人々の苦悩は増すばかりで社寺で祈祷まで行われるようになった。
当時、内野の堰は芝土の堰であったため大雨がふるたびに決壊し、そのたびに大勢の人が駆り出され復旧工事にあたった。しかし、なかなか水神の怒りはおさまらない。
その時、内野に新吾左衛門という農民がいた。新吾左衛門も毎日工事に出て一生懸命働いた。ある夜、疲れて寝ていると夢枕に七郎神が現れ「工事がはかどらないのは、水神の怒りがあるからで誰か人柱に立てば水神の心も和み、工事は完成するであろう」と言うものであった。
翌朝、新吾左衛門はそのことを役人に告げた。役人も人柱までは!と躊躇したがいつまでもはかどらぬ工事に人柱を立てることにし、村人を集めてその話をした。しかし、進んで人柱になど立とうとする者はなく、とうとう役人は仕方なく「左撚(ヨ)りの足半(アシナカ草履)を履いた者を人柱に立てる」と言い渡した。
左撚りのアシナカを履いた者は新吾左衛門一人であった。普通左撚りのアシナカを履くことはないので新吾左衛門は、七郎神が夢枕に立った時から人柱は自分しかないと覚悟を決めていた。
新吾左衛門の犠牲により、さしもの工事も完成し枯れかけていた田に水が行き渡るようになった。その後、内野の人々は新吾左衛門を井出の神と崇め、浄財を募り宝殿を建立した。・・・(富士町史より抜粋)
現在、内野七郎神社として・・場所は当利宮橋の右岸すぐ脇の下流に位置する。 西光寺の過去帳に次の記録がある。
「儀徳浄流居士 正徳三巳歳八月十日 内野新吾左衛門事 内野堰ニ人柱立セシニ依リ井出神と崇メ 村中ヨリ祠堂銭八貫目施入ス、又 七郎社託宣ノ冥加ニ付宝殿ヲ建テル也」
ところで橋の名について種々調査中であるがひとつ、西光寺の前進が真言宗であるため密教の化仏が入る「世尊刀利宮」由来と推察する。そしてこの凜として佇む橋は、自身を顧みず犠牲となった新吾左衛門の化仏(神)としてこの地に生き続けている気がする。
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