粥田橋(かゆだばし)
・福岡県若宮市龍徳 ・県道21号線 ・犬鳴川
粥田ノ庄を貫流する犬鳴川は、「慶長」の初め頃は迎野川の本線に流れ出るところで犬鳴川が始まり、鶴田の里~尾勝~南良津川を併合~勝野兵舟~嘉麻川に流れていたようだと語り継がれている。
黒田如水・長政父子は徳川家康から関ヶ原の恩賞により中津十二万石から筑前五十二万石小早川秀明の居城・名嶋城に入城した。慶長六年、「水を治むるもの国を治むる」の例えのとうり「筑前東部の治水事業に着手した」と伝えられている。
当時の測量技術と資材の調達方法については「奥田、萬田、千田、百田、十田、一田」六家の頭領・奥田蔵人鬼秀の末裔たちは、「昼は水盛・夜は提灯をつけて高さと方位を計り出し、築堤には松杭及び竹しがら等、土留めに大量に使われ、石垣は布積で大切なところは石灰と海草のりを目詰めに使った」と奥田家口傳は語り伝えている。
かくして黒田如水・長政父子が起こした犬鳴川の悠久の流れは、往時の大事業の恩恵を受けながら直方市に流れ、粥田ノ庄の治水は今日まで永々と守られている。
旧橋・木橋は西日本大水害(1953年)の時に流失し、現在地に粥田橋として生まれ変わるも、福岡・直方線バイパス道の貫通時(平成12年)にここに再び「粥田橋」の新装・改築となる。 =”現地・石碑(写真左上)文より抜粋”=
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早川智子 (火曜日, 27 10月 2020 05:21)
初めて!
黒田家の事についてお分かりでしたら教えてほしいのですが