舞鶴橋
・佐賀県唐津市 ・県道347号線 ・松浦川
1595年豊臣秀吉の家臣・寺沢広隆がこの地に封じられ、満島山に本格的な築城(唐津城=舞鶴城)を行った。築城に際し地続きであった満島山を切り離し、松浦川がそこから唐津湾に注ぐよう流路を変更した。
その松浦川の唐津湾口に架かるのが舞鶴橋である。
広隆は、松浦川の流路変更に見られるように土木事業に長けていた。唐津湾の砂丘に防風(潮)林として長さ4.5km、幅0.5kmにわたり黒松約100万本が植林されているが、広隆が植林したのが始まりとされている。
湾の砂丘が大きな弧状をなし(写真下・右)、湾内に夕日が掛かると「虹」が掛かったように見えることからこの防風林は、「虹の松原」と呼ばれている。
「橋の名」にも見られる舞鶴の由来は、上空から見ると満島山(写真下中央)を中心に、右翼が虹の松原(写真下右)・左翼が西唐津周辺(写真下左)を含めて鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれ、舞鶴城への連絡橋が舞鶴橋と呼ばれている。
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