宝来橋
・島根県美郷町 ・県道40号線 ・尻無川
宝来橋は、銀山街道(大森[岩見銀山]~尾道)の玄関口であるこの地に昭和10年にRC(鉄筋コンクリート)橋(旧橋;左小写真)、昭和54年にPC(プレストレストコンクリート)橋(新橋;左大写真)にて架設されている。
岩見銀山は、博多の大商人・神屋寿貞(博多三傑)が本格的に開発し、以後、大内氏と尼子氏及び毛利氏による銀山の争奪戦が繰り広げられた。
時を経て岩見銀山は、豊臣秀吉・徳川家康にまで受け継がれた。
家康に命じられた大久保長安は、銀山開発を急速に進め、家康に莫大な
銀を納め朱印船貿易の元手にもなった。
当初、産出した銀は沖泊等から船で搬出されていたが、冬の日本海は航行に支障をきたすほどの季節風が強いため大久保長安は、銀山から尾道まで中国山地を越え瀬戸内海に至る陸路の銀山街道を整備した。
銀山街道の通過する美郷町の入口 [玄関口] に架設された宝来橋は、この地に富をもたらし福を呼び込む願いを込めて、いつしかこう呼ばれるようになった。
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