橋の名は。物語 八海橋


八海橋(ヤカイバシ)

・山口県熊毛郡田布施町  ・国道188号  ・田布施川

新八海橋

旧八海橋

  新八海橋(写真上)は、鋼桁橋で昭和47年に竣工している。

  旧八海橋(写真下)は、RCーT桁橋で新橋の下流側に架橋されており、利用は出来ないものの今も残されている。

 

  八海事件は、昭和26年に当地で起きた。瓦製造業を営む老夫婦が惨殺され、現金を奪われたのである。警察は、盗んだお金で遊郭に入り浸っていた吉岡晃を逮捕。しかし、現場状況から複数犯と決めつけ、仲間の名前を吐くよう吉岡晃を執拗に責めたてた。ついに阿東修平さんを主犯とする他四


  名の名前を挙げることになる。こうして阿東修平さんたちの冤罪との闘いが始まった。17年9ヶ月の間、最高裁判所に三度も行き、有罪・無罪を行き来した。ついに裁判史上希にみる三度目の判決が言い渡された。「判決主文 ”無罪”」。

  阿東さんたちの無実を世に訴えるため、正木弁護士の著書「裁判官」を映画化した「真昼の暗黒・今井正監督」である。

この映画によって、八海事件の真相が世に知れ、阿東さんたちの支援の輪が大きく広がった。

 

 映画「真昼の暗黒」のなかに、 一人の被告の家族がこの橋(旧八海橋・映画では橋名を別名にしている。)を渡るシーンがある。叔父は世間体を考え被告の母親に、「裁判の事よりまず被害者に線香の一本でも持って悔やみに行くべきだろう」と言われ、線香とお供え物をもって謝りに行こうとするシーンである。「母親は、橋の途中まで来ると泣き崩れ、線香とお供え物を川に投げ捨てるのである。”やってもいないものを、どうして謝りになんか”」。衝撃的なシーンである。

 

  旧八海橋が今でも取り壊すことなく残されている(一部)理由がわかるような気がする。

    「二度と冤罪事件を起こさぬよう、八海事件をこの橋に託して後世に伝えよう」  


by 字っ茶1